『発端に抵抗せよ』と『終末を考慮せよ』というあの一対の有名な格言を私は何度も考えてきました。でも、発端に抵抗するためには、それが発端だとわかるためには、終末が見越せなければならないのです。…ニーメラー牧師は、(御自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私たちのような人間を代弁して、こう語られました。ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と」
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.html
共産党の記事から引用するとは何とも皮肉な話です。
この言葉は
他人事だからと知らん顔しておくと、いざ自分の身に降りかかった時には
助けてくれる人が誰もいなくなっていた
ということを物語っていることであり、
「他人事で済ませるな」という戒めでもあると思えます。
なぜキモいオジサン叩きに共産党を敵に回してでも抵抗するのか
これが先述のニーメラーの言葉があるからですよ。
私はキモいオジサンじゃないからキモいオジサンへの迫害なんて関係ない
なんて思ってはいけない。
『発端に抵抗せよ』というわけです。
キモいオジサンを絶滅したら次どこにいくんでしょうね?
次は今のフェミニストに賛同しなかった女性を「名誉男性」と称して粛清するの?
一方的に決められた「女性ならこうあるべき」に楯突いたら粛清とか、背筋が凍ります。
共産党が絡むのはキモいオジサン叩きで前面に出ている
Colaboの代表理事である仁藤夢乃の後ろ盾になって連帯し、
党のジェンダー政策の中に包摂しているからです。
むしろ共産党の方が、仁藤色に染まってしまっていて
おかしな方向に行っていると言っても過言ではないと思います。
まるでT4作戦でも思わせるんですよね
いわゆるナチスの安楽死政策。
さしずめキモいオジサンを奇形児同然に扱って
安楽死でもさせたいのかと考えさせられてしまう。
そもそも奇形児だから安楽死させてよいという話もおかしいが、
あの辺の人たちは容姿で人を存在価値まで決めてしまうのだから、
当然に奇形児もキモいの一言で差別するんでしょうね。
しかもこのT4作戦、適用範囲も事後的に拡張してますから、
他人事では済まされないなと思いました。
そもそもこの政策の意図は軍事費の調達のために
福祉予算を削減することから端を発しています。
共産党がこれに乗るということは、
税金の無駄遣いを削減する、エネルギーや食糧の浪費を削減するといった
目的から、無駄な食い扶持を削減したいからなのではないかと疑います。
キモいオジサンが食べるのは食糧は無駄づかいなので、
取り上げてColaboなどにやってくる女性に配ろうという魂胆ですか。
そもそも総量を増やそうとか考えないんですかね?
(緊縮財政なので考えませんね、むしろ総量は減るし、奪い合いが強まる。)
今の共産党は本当に何を考えているかわからない。
生きる価値のない人を探して安楽死でもさせようとでも考えてそうで怖い。