思うようにはいかないもの

心身がついていかない

週4回はここを更新したいと何度も思ってはいる。しかし、現実はそうできていない。本職の折り合いもあるにはあるものの、まずは仕事から帰ってくるとグッタリしてることの多いこと。この他にも色々と面倒なことが起きている。

2000字前後のボリュームで書こうという目標設定はしてあるものの、そのボリュームに届かずに棚上げになっている記事も少なくない。具体的な内容に踏み込めず書けず詰め切れないという感触の方が大きい。だから骨組みのところだけ書いて下書きとして保存したままという記事が積み上がる。

こちらでは将来的に有料記事を書くとかはないのだから気張る必要もないのだから、あまりルールを設けないほうがいいのかもしれない。

恐るべし藤巻カルト

相方が警察沙汰に

相方さんが警察沙汰になっていると聞いた。民事訴訟で展開される言論封じを意図した「スラップ訴訟」の刑事版といった所だろうとの事。こちら側としてはサーバーの運営会社を介して、ここのブログ記事についての何件かに対して削除命令が回ってきた。当該部分の公開を取り下げることでこちらは収束はしている。

聞いたところによると、警察側としては取り調べに真摯に対応していれば前科の付くような処分にはしないとのことだそうだが、彼の事だから「我々を批判したら刑務所暮らしになるぞ」と「見せしめ」をするために可能な限り重い刑罰を科すよう働きかけるのでは?とも。
警察沙汰にしてでも超絶緊縮財政への抵抗を黙らせようという強い執念を感じずにはいられない。まるで、旧体制下の特高警察による共産主義者狩りのような姿勢ではないか。

あたしたちにも当然に憲法に基づいた「言論の自由」はある。しかし、彼から言わせれば、「人として然るべき知能を持たない『情弱に人権はない』」と言い切るつもりなのだと思う。それこそ基本的人権の普遍性に対して理解のない無知の為す態度そのものではないかと。

藤巻カルトはウルトラ緊縮財政

藤巻カルトもよろしく、猛烈に「財政赤字」と「国の借金」というものを問題視して如何に弱者を切り捨てる政治にして財政赤字をなくし、国の借金をなくしていかなければならないかという視座にある。このことは皮肉にも国の借金を憂い、福祉予算が国の財政を圧迫することによって国の借金を積み上げている元凶だとして障がい者に矛先を向けたことで起きた相模原市のやまゆり園事件という殺人事件に至った。

国の借金をなくすためには国の借金を生み出している犯人を排除しなければならないという思いに駆られる。そうして起こった痛ましい事件で、犯人の植松聖は「新自由主義が生み出した怪物」とも言われる。その新自由主義を生み出しているは他ならない緊縮財政政策にある。緊縮財政政策にあっては財政難を理由に国民を見殺しにする政策に邁進してしまうからに他ならない。

だから藤巻カルトの掲げる緊縮財政政策も新自由主義を更に強化しようとするものだから、このような事件を誘発、あるいはナチスが行ったT4作戦のように国の政策として殺害していくのではないかとすら思え、非常に危うい。

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